プロフィール

こんにちは!

「無敵な私になる!HSPの生きにくさ改善セラピー」の心理カウンセラー

心野はま(こころのはま)と申します。

プロフィールをご覧いただき、ありがとうございます。

カウンセリングは、「誰に相談するか」で大きく変わるもの。
どんなに素晴らしいカウンセラーでも、自分に合っていなければ、思うような変化や気づきを得ることは難しいかもしれません。

だからこそ、
カウンセラー選びでミスマッチを減らし、「この人なら安心して話せる」と感じてもらえるように、私自身の生きてきた歴史をお伝えしたいと思い、プロフィールを書きました。

私がどんな人か、
どんな方に寄り添えるのか、
少しでも知っていただけたら嬉しいです。

もし共感していただける部分があれば、ぜひお話ししましょう!

あなたの悩みの中の本当の気持ちを探り、
生きにくさを強みに変えて、
「本来の自分」を取り戻し生きやすくなるよう、
心を込めてサポートします。

 小学生時代
私なんて・・と

自己否定し笑顔を無くした少女

1984年祖父母含む6人家族の末っ子として誕生。
小学生の時は内気で周囲の空気に敏感な子供でした。

学校生活ではとにかく間違えないように、失敗しないように緊張しながら生活していたので周囲と和むわけではなく笑顔のない少女でした。
周囲の人の感情や変化に敏感だったので、自分の意志はさておき先生や友達が好むような行動を優先していました。

また成長が早く人一倍背が高かったので、コンプレックスでした。ところが高学年になると、今まで自分より小さかった友達にどんどん背を抜かされ、その劣等感はますます強くなりました。

幸い背の高さでいじめなどはなかったものの、
「私は何をやってもダメ」
「こんな私なんて、誰も好きになってくれない」
そんな自己否定の気持ちに苦しんでいました。

中学生になるとカースト制度を敏感に感じるようになりました。クラスのカーストの頂点の子にはなれないとわかってはいたものの、陰キャだと思われたくない、(ほんとはめちゃ陰キャ)思いや、好奇心も強かったのでそういう子にも積極的に話しかけました。

結果本当の自分は家でしか出せず、学校から帰ると
どっと疲れ次の日また自分ではない仮面をつけて学校へ向かう。

これが当たり前と思い疑いなく過ごしていました。

高校受験を経て、無事に高校生活が始まったものの、すぐに勉強についていけなくなりました。授業の内容が理解できず、「私だけが取り残されているのでは」と思い込み、苦手な科目はますます避けるように。

進学校のピリッとした空気に圧倒され、授業中は緊張でお腹が痛くなることも増えていきました。毎朝、薬を飲みながら登校し、教室ではみんなが当たり前に勉強しているのに、自分だけが先生の話を聞くことすらできない——そんな劣等感と焦りに押しつぶされそうでした。

思春期の私は、その苦しみを誰にも相談できずにいました。一度だけ母に打ち明けたことがあります。でも返ってきた言葉は、「出ないより出る方がいいのよ」 の一言。それ以上、何も言えなくなりました。

それでも、真面目な性格だった私は 「辞めないこと」「卒業すること」 だけを目標に高校生活を送ることにしました。そして卒業式の日、ふと空き教室に足を踏み入れ、心の中でつぶやきました。

「これで解放される。でも……本当は、もっと勉強に集中したかったな」
「友達もできたけど、いつもトイレの心配ばかりで、もっとちゃんと向き合いたかったな」
「思い切って誰かに相談していたら、少しは楽になれたのかな。でも、言えなかったんだよな……」

そんな思いが、静かに胸をよぎったのでした。

辛い高校時代を得て大学に進学。

大学の授業は選択制のものがほとんどでこれなら無理せずやっていけると確信し、一人暮らしも始まったので一から人生をやり直そうと日々の生活を楽しみました。
不思議なもので環境が変わると過敏性腸症候群の症状ともうまく付き合えるようになり授業やバイトに励みました。

そんな中友達との会話の中でよく言われ事が「はまちゃんは気にしすぎだよ」でした。

うまくゼミで発言できなかった時、バイト先の先輩に少しきつく言われたときなど少しのことですぐ落ちこみ毎日反省しては、相談にのってもらっていました。そうなのかなぁ?
みんなこんなに考えないのかなぁ?
そんなこと言われても気になるものは気になるし。。。
私の心はいつも堂々巡りでした。

大学卒業後、地元の金融機関に就職。窓口業務では、突然来店するお客様への対応、1円のミスも許されない緊張感、そして背後からの支店長の鋭い視線——常にプレッシャーにさらされる毎日でした。さらに、ノルマ達成という大きな壁もありました。

HSPは、早さ・売上目標・無理な笑顔を求められる環境や、マルチタスクに追われる仕事が苦手とされています。 そんな私にとって、この職場はまさにHSPには適さない環境でした。

小さなミスでも自分を責め続け、自己肯定感はどんどん下がる。毎日が辛くて仕方なかったけれど、「仕事は大変なもの」「みんなこうやってお給料をもらっている」と自分に言い聞かせながら、なんとか働き続けました。

でも、心の中ではずっと問い続けていました。

「誰のために、何のために、こんなに苦しい思いをして働いているのか?」
「生活のためとはいえ、本当にこのままの人生でいいのか?」

そう考え続けた7年後、身体は悲鳴を上げていました。持病のアトピーが悪化し、無意識のうちに手や体を掻きむしるようになっていました。

そして、この頃からさらに深く考えるようになりました。
「本当にやりたいことは何なのか?」
「私にはどんな仕事や生き方が合っているのか?」
「そもそも、私は何のために生まれてきたのか?」

時には、前世や使命のことまで思いを巡らせました。(今なら「そんなの分かるわけがない」と言えるのですが……)

それほどまでに、自分自身の生き方に迷い、苦しみ、答えを探し続けていました。

退職後に結婚し、その後エステやマッサージ、WEBデザインなど、さまざまな仕事を少しずつ経験しました。ですが、驚くほど急速に興味を失い、どの仕事も結果を出せず、続けることができませんでした。そのたびに自信をなくしていきました。

もともと好奇心旺盛な反面、飽きやすい性格だとは分かっていました。でも、「何か違う」と感じると、もう続けることができなくなるのです。
夫には「どうせ何をやっても続かないんだから、もう相談しないでくれ」とまで言われました。自分には何もできないのではないか――。
夫をまたがっかりさせてしまった罪悪感の中で、「自分にできることは何か?」「これは自分の使命なのか?」と深く考え、そのたびに挑戦してみるものの、結局は違和感を覚えて中断してしまう。そんなことを繰り返していました。

最終的に、「私は何が嫌で続かないのか?」と、自分自身を掘り下げて考えるようになりました。仕事内容だけでなく、職場環境も重要なのではないか? たとえば、一人になれる時間があるか、長時間ずっと気を張り続ける必要がないか――。そこで、「環境」を重視して仕事を選んでみることにしました。

その基準で選んだ派遣の仕事は、シフトの自由がきき、結果的に長く続けることができました。
今なら、HSS型HSPの特徴である「好奇心旺盛であれこれ興味を持つが、継続が難しい」という性質に気づき、その対処もできます。でも、当時の私はそんなことを知る由もなく、ただただ「何ひとつ継続できない自分はダメな人間だ」と自己嫌悪に陥っていました。

結婚後、すぐに子宝には恵まれず、7年後にようやく娘を授かりました。その間、検査や人工授精、体外受精など、できることはすべて試しました。

初めて妊娠が確認されたとき、すぐに「赤ちゃんが育っていない」と告げられました。どうして? どうして? 何度も自問しました。辛い治療を乗り越えて、やっと授かった命だったからこそ、「自分の何がいけなかったのか」「どうすればこの命を救えたのか」と、正式に流産と診断されるまで気が狂いそうなほど考え続けました。

流産を経験した後も、自分を責める日々が続きました。今振り返れば、理由は単に「着床がうまくいかなかった」「受精卵の生命力がそこまでだった」――それだけのこと。でも当時の私は、「あの時、こうしていれば…」「もっと別の方法があったのでは…」と、ありもしない理由を必死に探し続けていました。

そんな中、夫に「しばらく治療をストップしたい」と伝えました。そして、赤ちゃんのことや治療のことを一切考えず、別のことに全力を注ぐことにしました。

そして約半年後、治療を再開。ついに、待望の赤ちゃんを授かることができたのです。

結婚当初から、夫の私や義家族に対する態度には、どこか子どもっぽさがあり、時折嫌悪感を抱くことがありました。愛情表現や感情を表すのが苦手な人で、「古風」と言えば聞こえはいいものの、すぐに自分の世界に入り込み、話し合おうとしても向き合ってくれない。その姿勢に、私は次第に苛立ちや絶望感を覚えるようになりました。

不妊治療中も、「なんだか私だけが頑張っている気がする」。そんな思いを抱きながらも、「子どもを授かれば、きっと気にならなくなるはず」と自分に言い聞かせていました。

しかし、出産後の育児は想像をはるかに超える大変さでした。寝不足、ホルモンバランスの乱れ、自分の感情や体調の変化――。次々と押し寄せる問題に、私は必死で対応しなければなりませんでした。授乳や慣れない育児による疲労で体重が7キロほど落ちても、何とか毎日をやり過ごすしかありませんでした。
気づけば、私はこの感情を抑え込み、夫を「同居人」として扱うことで、何とか平穏を保つようになっていました。

出産後保育園に入りやすい時期を狙って娘が8ヶ月の時に職場復帰しました。気力も体力も毎日限界を感じながらフラフラにながら仕事をこなしました。

産後は物忘れもひどくままたホルモンバランスも安定していないことから、常にイライラや被害妄想もひどく、当然周りの人間関係に支障が出ました

産休明けで他の人よりも仕事が出来るわけがないのに見栄を張り、妙なプライドを持ち、私は分かっている、私が正しいと引くに引けない状況を自分で作り、自分の首を絞めて助けてを言えない状態を作り出していました。

それが=頑張ることと思い込み、もっと頑張らないと認めてもらえないと間違った方向性で頑張り続けました。
しかしそんな状況が長続きしないのは当たり前です。

頑張れば頑張るほど自分で自分のことが嫌いになり、周囲の人の笑顔が消え、自分の心は死んでいくようでした。

る日プッツと糸が切れたように私なにを頑張っているのかな。
私の心は本当は何を頑張りたくて何がしたいのかな。
そういえば家庭と職場の往復で誰にも心のうちを話しをしていないなぁ。
誰かに聞いてほしい。
そう思っても、本心を話せる相手は見当たりません。
大事にしたい親や友人ほど本心を話すのは躊躇いました。

誰にも相談できないのなら、占いに頼ろう――。そう思い、私は何かあるたびに電話占いを利用するようになりました。

「あなたは○○だから」「旦那さんは今年、運気がよくなくて…」「旦那さんは○○な性格よね?」

そう言われると、「そうそう、当たってる!」と納得してしまう。まるで私や家族のことをすべて見抜かれているようで、話し終わった後はスッキリした気分になるのでした。

でも、ある日ふと気づいたのです。

――私は今まで、夫の生年月日(西暦)を間違えて伝えていた。

えっ? その瞬間、ハッとしました。
結局、「そうそう」と納得していたのは、誰もが持っている特徴を言われていただけだったのではないか。占い師の言葉を信じ、自分の中にある答えを引き出してもらっているように感じていたけれど、本当に見抜かれていたわけではなかったのかもしれない…。

それでも、占いで「今は運気が悪い」と言われると、不思議と思考がそちらに引っ張られる。「ほら、やっぱり最近ツイてない…」と悪いことばかりカウントし始める。逆に「運気がいい」と言われると、今度は良いこと探しを始める。「やっぱり今年はいい年だ!」と、一喜一憂する。

心って、面白いな。

そう気づいた瞬間でした。

占いが私の心の支えになってくれたのは確かで、感謝もしています。でも、もっと自分自身の心を知りたいと思うようになりました。

生年月日や運勢で判断されるのではなく、自分の心の癖を知り、前向きになれる方法はないだろうか?
心の中のぐちゃぐちゃを、少しずつ紐解いていけるような、
そんな手段がほしい――。

そう考え始めたのです。

そんな中、「カウンセラー」 という言葉を目にしました。

カウンセリング? でも、私は精神的に病んでいるわけじゃない。ただHSS型HSPの気質があるだけ…。

ちょうどこの頃、芸能人がHSPをカミングアウトするなど、世間でもHSPの概念が広まり始めていました。私も、自分がそうなのだと気づいていました。でも、ある言葉が目に留まったのです。

「HSPの方へ。夫婦関係や対人関係でお悩みの方へ。」

――私でも受けていいんだ!

そう思い、カウンセリングを受けてみることにしました。

初めてのカウンセリングで感じたこと

カウンセラーの「傾聴」は、まさに心を紐解くような作業でした。

「私、今まで本当に頑張ってきたんだなぁ…。」

そのことに初めて気づいた瞬間、思わず涙があふれました。自分の気持ちを押し殺し、必死に耐えてきたことに、ようやく気づけたのです。

「自分を大切にする」って、どういうこと?

かつての私は、その方法も概念もわかりませんでした。
自分のダメなところばかりに目がいってしまい、どうしても自分を責めてしまう。

だから、生きにくかった。楽になりたかった。

もっと気楽に生きたい。
他人の目ばかり気にするのはやめたい。

…そう思っても、それができない。
生きにくさは分かっていても「ダメな自分は受け入れること」 ができませんでした。

カウンセリングを通じて得た気づき

カウンセリングを受ける中で、少しずつ変化が起こりました。

「これも自分なんだなぁ」 と受け入れられるようになったのです。
すると、ネガティブな思考で頭がいっぱいになる前に、前を向けるようになりました。

本音が見え、隠れていた 「自分軸」 が少しずつ輪郭を持ち始める。
対人関係では、相手との境界線がわかるようになる。

そして何より――
自分を受け入れられると、さざ波のようにその変化が広がり、周囲の人も受け入れられるようになる。

心の波に寄り添い
彩りある人生へ
HSPの私だからこそ出来ること

私も、誰かの心に寄り添いたい

そして、ふと思いました。

硬く縮こまっていた誰かの心に、
そっと触れられるような存在に。

心の奥に眠っている「気づき」をそっと引き出し、
心の海を潤わせて波を一緒に整えていくような存在に。

初めて感じる感情、隠れていた想い。
その「心の波模様」に気づき、


どんな感情も
「あなただけの大切なもの」
だと伝えたい。

ネガティブな荒波には、乗りこなす術を身につけてもらい、
明るい明日へ進む力を届けたい。

人生という大海原を
「面白い!」
「楽しい!」
と思えるように、

そして、
小さなことに感謝できる日々が少しでも増えるように。

人は、
感情に触れずに生きることもできる。
見ないように、気づかないように、
やり過ごすこともできる。

でも、
心に引っかかっている
「何か」
に気づけたら?

それだけで、
人生はもっと
彩りに満ちたものになるのではないか。

そう思ったとき、
私は 「そんな風に導くお手伝いがしたい」
と強く願うようになりました。

       

HSPで良かったと思える生き方へ

今、私は HSPの生きにくさ改善カウンセラー として、かつての私と同じように HSPならではの生きにくさ思考のクセ に悩んでいる方のサポートをしています。

あなたの弱みを強みに変える。
「HSPで良かった!」 そう思える生き方へ。

あなたが 「無敵な私!」 になれるようお手伝いしています。

もし今、HSPの気質に生きづらさを感じている、対人関係がうまくいかないなど何かしらの生きにくさを感じているなら、ぜひ私のカウンセリングを受けてみてください。

あなたも「無敵な私!」になり、生きにくさから解放されましょう!

ここまで長文をお読みいただきまして、ありがとうございました。